私は飽き性なんじゃなくて、働くことに期待していなかっただけかもしれない

かんなろ
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こんにちは、かんなろです!

仕事が続かない自分のことを、私はずっと「飽き性だから」だと思っていました。

最初は頑張ろうと思うのに、しばらくすると気持ちがついていかなくなる。
やる気が出ない自分を見て、「またダメだったな」と思うことも何度もありました。

でも最近、
「本当に私は飽き性だったのかな」
と、ふと立ち止まって考えるようになりました。

もしかしたら、働くことそのものに、最初からあまり期待していなかっただけなのかもしれない。
やりたい仕事があったわけでも、仕事に情熱を持てていたわけでもないのに、「続けられない自分」を責め続けていただけだったのかもしれません。

今日は、仕事が続かない理由を「飽き性」という言葉だけで片づけていた頃の自分を振り返りながら、今も答えが出ていないまま考え続けていることを書いてみようと思います。

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「私は究極の飽き性だ」と思っていた頃の話

仕事が続かないたびに、私は自分のことを「究極の飽き性なんだ」と思っていました。
これまで20カ所以上の職場を経験していて、短くて3ヵ月、最長でも2年くらいしか仕事が続きません。
挑戦した副業や趣味・習慣も同様に続きません。
唯一没頭したのは、学生時代にハマっていたアイドルグループの嵐のファンですが、それも大学に入ると自然と遠のいていきました。

どの仕事も、始めたばかりの頃は
「今度こそ頑張ろう」
「長く続けられるといいな」
と思っていました。
新しい環境や覚えることがあるうちは、それなりに気持ちも動いていたと思います。

でも、慣れてくると少しずつ違和感が出てきます。
特別つらい出来事があったわけでもないのに、気持ちだけが置いていかれるような感覚。

「また飽きてきたな」
「やっぱり私は長く続けられない人間なんだ」

そうやって、仕事が続かない理由をすべて自分の性格のせいにしていました。

周りを見れば、同じ職場で何年も働いている人がいて、いつも愚痴などを言っているのに、ちゃんと毎日仕事をこなしている。
それに比べて私は、続けられない理由を探しているようで、どこか欠けている人間なんじゃないか、そんなふうに感じることもありました。

「飽き性だから仕方ない」
この言葉は、自分を納得させるための説明でもあり、同時に、自分を切り捨てる言葉でもあったと思います。

飽きる理由を、ずっと自分の性格のせいにしていた

仕事が続かない理由を聞かれたとき、私はいつも同じ答えを用意していました。

「飽き性なんです」
「根気がなくて」

それ以上、深く考えなくて済む言葉だったからです。
本当のところ、

  • なぜしんどくなるのか
  • 何が合わなかったのか

この疑問にちゃんと立ち止まって考えたことは、ほとんどなかっただけでした。

考える前に、
「自分の性格が飽き性なのが悪い」
という結論を先に置いてしまっていたんだと思います。

周りには、仕事を続けている人がたくさんいました。
楽しそうに見えなくても、不満を言いながらでも、ちゃんと働き続けている人たち。
どうしてみんな普通に働けるのだろう。

その姿を見るたびに、
「続けられない自分の方がおかしい」
そう思うようになっていきました。

本当は、仕事の内容が合わなかったのかもしれない。
環境や働き方が、自分にとって負担だったのかもしれない。

でもそんな可能性を考えるよりも、
「自分は飽き性だから」
決めつけてしまったほうが、ずっと楽だったのだと思います。

飽き性という言葉で片づければ、これ以上理由を探さなくていい。
期待もしなくていい。
傷つくことも少なくて済む。

そうやって私は、仕事が続かない理由をずっと自分の性格のせいにしていました。

ふと気づいた「仕事に期待していなかった」という感覚

ある時、
「仕事が続かないのは、本当に飽き性が原因なんだろうか」
と、ふと考えてみました。

仕事が続かない理由を、ずっと自分の性格のせいにしてきたけれど、それだけで説明がつくのか、少しだけ立ち止まってみたくなったんです。

そして過去を振り返ってみると、私は「やりたい仕事」があって働いているわけではありませんでした。
高校生くらいまでは、憧れの職業がありましたが、大学に入ってからは「とりあえず就職しないと」という気持ちで仕事を探していました。

この仕事が好きだから頑張りたい
✨この分野で成長したい

そう思って始めた仕事は、正直ほとんどありません。

生活するために働く。
選択肢の中から「これならできそう」と思ったものを選ぶ。
最初から、仕事に強い期待を持っていたわけではなかったのだと思います。

それなのに、
「やりがいを見つけなきゃ」
「情熱を持って取り組まなきゃ」
「続けられないのは努力が足りないから」

そんな言葉だけを、いつの間にか自分に向けていました。
でも、期待していないものに対して、長く気持ちを向け続けるのは、そもそも難しかったのかもしれません。

飽きたのではなく、最初から大きな期待をしていなかった。
仕事に対する人生の重要度が私の中で低かった。
それなのに、期待している人と同じように振る舞おうとして、苦しくなっていただけだったのかもしれない。

この考えが正しいのかどうかは、今も分かりません。

ただ、
「飽き性だから続かなかった」
という一言で片づけるよりも、少しだけ自分を雑に扱わずに済む気がしました。

それでも「続けられない自分」を責めてしまう瞬間

「仕事に期待していなかっただけかもしれない」

そう考えられるようになってからも、自己否定がすっかり消えたわけではありません。
むしろ、分かった気になった後ほど、また同じところに戻ってしまう瞬間があります。

仕事の話題になったとき。
誰かが
「この仕事、やりがいはないけど安定してるから」
と当たり前のように話しているのを聞いたとき。

その言葉を聞くたびに、「それでも続けられている人」と「続けられなかった自分」を無意識に比べてしまいます。

やっぱり私は、根気が足りないんじゃないか。
甘えているだけなんじゃないか。

「仕事に期待していなかった」という見方が頭にあっても、そうやって自分を責める声は、簡単には消えてくれません。
すぐに仕事を辞めてしまう人への批判意見や偏見も知っているので、余計に空想の批判の声が頭の中に響きます。

ときどき、
「もし、もう少し我慢できていたら」
「普通に働き続けていたら」
そんな想像をしてしまうこともあります。

気づいたからといって、すぐに楽になれるわけじゃない。
考え方が変わっても、感情は少し遅れてついてくる。

それでも、以前と少しだけ違うのは、その声にすぐ結論を出さなくなったことです。

「また責めてるな」
「今日はそう思ってしまう日なんだな」

そうやって、自分を責める気持ちそのものを否定しなくなりました。

飽き性かどうかは分からないまま、今も考えていること

結局のところ、私は本当に飽き性なのかどうか、今もはっきりした答えは出ていません。

仕事に期待していなかっただけなのかもしれないし、やっぱり根気がなかった部分もあったのかもしれない。
どちらか一方だけが正解だとは、今は思えなくなりました。

ただひとつ言えるのは、
「飽き性だからダメなんだ」
という一言で、自分を片づけなくなったということです。

仕事が続かなかった理由を、無理に美談にする必要もないし、逆に欠陥の証明にする必要もない。
そう思えるようになってから、自分を扱う手つきが、少しだけ変わりました。

今も、仕事に強い情熱を持っているわけではありません。
私の中で仕事は、あくまで生活をするための手段に過ぎず、どうせなら少しでも楽な仕事がいい。
それくらいの考えです。

もし今、仕事が続かない自分を
「飽き性だから」「向いていないから」
と責めている人がいたら。

その言葉以外の見方も、どこかにあるかもしれません。
見つからなくても、考え続けている途中でも、それだけで十分なのだと思います。

私もまだ、答えの途中にいます。

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ABOUT ME
かんなろ
かんなろ
愛犬とまったり暮らしたい独身女
わんこと暮らす30代派遣社員。わんこのそばで働ける未来を目指して、副業&在宅ワークにゆるッと挑戦中🐶✨
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